すこしながいはなし

SNSに書くには少し長い話

釧路沖地震の回想

本日(2023年(令和5年)1月15日)釧路沖地震が起こって30年となった。地震としての規模は結構な大きさであったが、その後に起こった北海道南西沖地震(1993年(平成5年)7月12日)、阪神・淡路大震災(1995年(平成7年)1月17日)の被害状況・映像資料の豊富さ・報道の多さにより、あまり報道で取り上げられることがないように思える
私自身も実際に遭遇しているにもかかわらず、30年の月日により徐々に記憶が風化しつつあるのを感じる
その為、当時の記憶だけではなく十勝毎日新聞の縮刷版も確認して、twitterの投稿風に当時のことを書き記しておこうと思う

免責事項

  • あくまでも個人の記憶に基づいた内容のため、実際の被害状況とは合致いたしません
  • タイムライン風の記述となっておりますが、実際の状況や報道内容とは必ずしも一致しません

前提

  • 帯広市東部にて暮らす父(当時40台前半)・母(当時30台後半)・私(当時14歳・中学3年生)・妹(当時小学生(低学年))の4人家族
  • 1993年1月はこの日までほぼ降雪がなく、1/11より最低気温が-15℃を下回り地盤がいつも以上に凍結している状況だった(気象庁のデータより)

1993年(平成5年)1月15日

【その1・19:30頃】

自宅でUHBで"世界の最後にあなたは何を食べるか"*1という内容のテレビを見る。夕食は既に終了し、食器も洗い終えていた
この時点で家にいるのは母・私・妹
※父は高校同窓会に出かけてこの時点で不在

【その2・20:06】

妹が"世界の最後にあなたは何を食べるか"というナレーションの問いに「うーんとねー」と言ったとたんに下から突き上げる揺れ
5秒も経たず上下に30cm~50cm動く強い揺れ
母の指示で妹はちゃぶ台横の学習机に、私はちゃぶ台に隠れる

【その3・20:06】

私、見ているテレビの内容を思い出し妹へ「安心しろ、本当に世界の終わりが来たわけではない」と叫ぶ

【その4・20:07】

上下方向の揺れに加え東西方向の揺れが加わる

【その5・20:08頃】

揺れが弱まったので私も妹も出る
母が車庫にある車を見て「車が車庫から出たり入ったりしている・・・・」と呟く
※車庫の向きは東西方向

【その6・20:10頃】

UHBでは地震速報すら入らない。リモコンでチャンネルを変えるとNHK総合地震対応の放送に切り替わっている。HBCSTVHTBの順に地震速報のテロップが入る
この時点では「釧路で大きく揺れた」以上の情報は入っていなかった

【その7・20:15頃】

この辺りで震源地が釧路沖であること、帯広は「震度5」、釧路は「震度6」が観測されたことが情報として入って来る
この時点でチャンネルをNHK総合固定にする。東京局がメインの報道

【その8・20:20頃】

私は「地震はまずP波が感知されその後S波がやって来る」という地学の内容を思い出す。「そんなことを感じる暇もなく強い揺れがやって来たな」と思い返す

【その9・20:25頃】

父がステーションホテルより戻って来る
父曰く「シャンデリア付近にいた人はさっさといなくなった」「テーブルの上にあった物はほぼ落ちた」「壁が剥がれてきてさっとよけた」と語り、家の食器に被害がないことに驚く

【その10・20:25頃】

父「揺れが収まり次第同窓会がお開きになったので、自分の同期は皆家族のもとへ帰った。これから飲みに繰り出す不届き者もいる」と憤る*2
父はすぐさま隣の職場兼父方祖父の家に確認に行く

【その11・20:30頃】

父、家に戻る。職場・父方祖父母宅に被害なし
父は震度を確認して「釧路の親戚は最低3日は電話がつながらないだろう」と言う*3

【その12・20:45頃】

NHK総合はこの頃札幌局からの報道が入る
札幌局から釧路局に繋がることがなく進行しているため、ラジオを出してきてNHKAM1にチューニングする

【その13・20:45頃】

NHKAM1では帯広局・釧路局からの情報が流れる
帯広市内でも西側は停電していること、釧路市内は全面的に停電していること、負傷者が多数いることをこの時に初めて知る

【その14・20:50頃】

私、2階の自室へ行く
部屋の北東にある学習机の上段が本棚となっていて、教科書や辞書を置いていたがすべて床下に落ちていた。一方南西にある金属製の書籍ラックの本は前に動いただけだった
※共に本は東西方向に並んでいる

【その15・21:10頃】

帯広市緑ヶ丘方面に住む伯母(母の姉)より電話
「自分は階段を上る途中に地震に遭い体が吹っ飛んだ(無傷)」「階段に備え付けたケースに置いていたガラス細工はほぼ割れた」

【その16・21:10頃】

伯母(母の姉)より電話
「(近くに住む)父さん(母方祖父)は無事だった」「暗いけれども自分の家と父さんの家の外側も回って確認している」

【その17・22:00】

NHK総合は東京局が主、札幌局と随時中継
NHKAM1は札幌局が主、釧路局・帯広局から時折中継
被害は徐々に判明しているが、報道が既報の繰り返しとなったため私は就寝

1993年(平成5年)1月16日

【その18・午前】

午前両親は母方祖父の状況を確認する。本人は無事

【その19・夕方】

十勝毎日新聞が配達される。被害状況を見て自分たちの住む地域の被害が少ないことを知る
母方祖父の家の近くの家で煙突が折れた写真を見て、伯母が昨日慌てて電話した理由を理解する

*1:正確には「必見史上最大の芸能人100人インタビューズ 明日、地球が滅亡…その時アナタは何を食べますか」

*2:実際は帯広駅周辺の飲食店は被害が大きく即座に営業を取りやめた

*3:実際に電話が繋がったのは1週間後であった