すこしながいはなし

SNSに書くには少し長い話

北海道胆振東部地震の記憶(2023年・記)

本日(2023年(令和5年)9月6日)北海道胆振東部地震が起こって5年となった。この時にはtwitter(現:X)を利用していたものの、北海道に住む大方の住人同様停電に遭遇したことと、携帯電話の電池切れにより、リアルタイムでの記録は地震発生後19時間後から始まっている
現:Xの方針次第ではtwitter時代の記録が散逸する可能性もあるため、念のためこちらでも記しておくこととする

免責事項

  • あくまでも個人の記憶に基づいた内容のため、実際の被害状況とは合致いたしません
  • タイムライン風の記述となっておりますが、実際の状況や報道内容とは必ずしも一致しません

前提

  • 帯広市東部にて暮らす父(当時60台半ば)・母(当時60台半ば)・私(当時40代前半)・の3人家族。結婚している妹(家族構成:妹(当時30代前半)・義弟(当時40代前半)・姪(当時1歳過ぎ))は同じ地域の別の場所で暮らしている)
  • 前日(2018年9月5日)に関西方面で大きな被害をもたらした台風21号が北海道を通過したが、当地に影響は薄かった

2018年(平成30年)9月6日

【その1・3:08頃】

自宅の自室でP波を感じない少し強い揺れで目を覚ます。とっさに思ったことは「(2011年3月11日に起こった)東日本大震災の揺れに似ている」

【その2・3:08頃】

横揺れが少なく体感的にも震度4くらいと判断する。念のために建付けの悪い自室のドアを開き、窓を開ける

【その3・3:10~3:12頃】

窓を開けると西側から徐々に街灯・常夜灯が消えていく。順番は国道周辺、うちの近辺、道路をはさんだ東隣のブロック。明かりが消えたころ揺れは収まる

【その4・3:12頃】

自室から見える範囲で明かりがついていたのは、西側にある近くの会社(4階建てビル)の常夜灯、向かいの集合住宅の常夜灯。この時は「変電所に異常があったのだろうか」と思っている

【その5・3:15頃】

両親が居間に出てきた様子があるので1階へ携帯電話を持って降りる。自宅では明かりがなくとも階段を降りることができるくらいに、目は暗がりには強い

【その6・3:17頃】

両親に私が2階から見た状況を説明する。携帯電話(フューチャーフォン)のブラウザで震源・震度を確認。当初の震源は浦河沖と発表されていたが、のちに苫小牧沖と訂正。当地は震度4と確認

【その7・3:20頃】

私の携帯電話は電池残量が10%を下回ったので自動で切れる。父の携帯電話はブラウザを使用しない設定にしていたため、この時点で情報はこれ以上収集不可能となる

【その8・3:20頃】

停電の復旧のめどがつかないだろうこと、余震の可能性を踏まえ一旦私は居間で寝ることとする。寝具を2階から持ってきて一旦就寝

【その9・4:30頃】

大きな余震もないため自室に戻り二度寝する

【その10・7:00】

二度寝から起床。両親は既に起床しておりポータブルラジオが稼働していた。懐中電灯の用意もあった。この時に震源地が胆振東部の内陸であること、むかわ町・安平町・厚真町の被害が大きいことを知る

【その11・8:30】

仕事に行く。この時の仕事は、紙とペンを使用して下書き作業を行いパソコンで清書する手順を取っていた。停電のためパソコンは使用できなかったが、下書き作業はできるため仕事続行

【その12・9:30頃】

職場でラジオを聴く。「世耕弘成経済産業大臣(当時)は北海道電力に対し数時間以内の復旧を指示した」との報道を聴く。「今日の電力復旧はないだろう」と判断する。この時に初めて地震発生時間に稼働していた発電所が苫東のみであったことを知る

【その13・12:00】

昼食。幸い水道は止まっておらず、プロパンガスコンロにも問題はなく調理可能であった。牛乳をこの時に飲み切る。仕事は午前中で終了する

【その14・13:20頃】

本州の従妹(父の兄の娘)から父へ電話がくる。父が近くにいなかったので私が取る。心遣いはありがたかったが、長めの電話で電池残量が気が気でない

【その15・13:30頃】

妹から父へ電話がくる。一家は無事で、姪の粉ミルク・夫婦の食料に問題なし。バッテリーは確保している。ただし、携帯電話基地局の電源がないため速度制限があるのでしばらく電話しないと伝えてきた

【その16・14:00頃】

両親、近くの店に車で買い物に行く。この頃には市内でも、停電から復旧した話が地域ラジオより流れてくる

【その17・15:00頃】

両親、買い物から戻る。行った店は臨時体制で営業しており、乾電池等を100円単位で販売していた

【その18・17:00】

夕食。豚肉、葉物野菜を中心に傷みやすい食材の消費

【その19・17:30】

日が暮れてきたので懐中電灯とろうそく立てとろうそくを用意

【その20・18:00】

ろうそくの明かりで居間を照らしラジオを聴く。懐中電灯はトイレに行くときに使用する。自室から見える範囲で明かりがついていたのは、西側にある近くの会社(4階建てビル)の常夜灯のみ

【その21・19:30頃】

玄関先で新聞が投かんされた音を聞く。私が懐中電灯を持って外へ出る。十勝毎日新聞が配達されていた

【その22・19:30頃】

空を見上げると星空が広がっていた。天の川がくっきり見えた。「星がきれいだな」と30秒ほど眺める

【その23・21:50頃】

自宅のブロックが停電より復旧する。復旧しないのであれば22:00に就寝する予定であった

【その24・21:50頃】

冷蔵庫がうなりを上げて電力消費していることにビビる。この時点で、冷蔵庫は常温に、冷凍庫もかなりぬるくなっていた

【その25・22:00~23:00】

インターネット上の情報をチェックし、ラジオ局の公式や公共交通の公式のTwitterから確実な情報をリツイートする。自分の携帯電話の充電を開始

【その26・22:00~23:00】

妹一家の自宅が21:30頃に停電より復旧していたことを知る

【その27・23:00】

落ち着かないが就寝

2018年(平成30年)9月7日

【その28・7:10】

起床。昨日に引き続きラジオ局の公式や公共交通の公式、自治体公式のTwitterから確実な情報をリツイートする

【その29・8:00】

職場の仕事は電源復旧したため可能なものの、今回被害の大きい地域を扱う内容の仕事のため、関係各所からの指示があるまで作業中断することにする。なお、この時点で関係各所に連絡はつかない状況

【その30・9:00~10:00】

職場の清掃を終えラジオを聴く。災害応援にやってきたNHKの女性アナウンサーが、北海道の地名の読み・アクセントに悪戦苦闘している

【その31・11:00頃】

プロパンガス屋さんが点検とボンベ交換にやってきた。うちの近所まで信号は点灯しているものの、東側と南側の地域は作動していないと教えてもらう

【その32・13:00~13:30】

両親が近所のスーパーへ買い物に行く。2件行ったが両方とも停電より復旧していた。信号の状況は11:00頃に同じ

【その33・13:30】

両親より近所のスーパーの品ぞろえを聞くことができたので、Twitterへ店名と時間と品揃え状況を投稿する

【その34・15:30】

妹が自身の自宅近くにあるスーパーへ行った投稿をしていた。回転しており品ぞろえも充実していた

【その35・15:30頃】

父がお向かいさんと会話をした。ラジオは持っていたものの、電池を入れたまましばらく使っていなかった。使用しようと出したところ電池より液漏れがあり使えなくなっていた。という話

【その36・18:30頃】

インターネットで無料公開されている十勝毎日新聞の記事を見る。思ったより停電から復旧している地域が少ないことを知る*1

【その37・22:30頃】

長らく停電したままであった隣のブロックが停電より復旧

2018年(平成30年)9月8日

【その38・午前】

近隣の店舗がおおよそ営業再開することを確認。隣のブロックも停電より復旧したので人出が多くなると予想。今日は出歩かないと決める

【その39・午前】

帯広市内に住んでいる仕事先よりメールが届く。今朝停電より復旧したとのこと
(2023/9/6 12:00 2018/9/9午前・昨晩復旧としていた文章を修正)

2018年(平成30年)9月9日

【その40・11:00~15:00】

自分の行動できる範囲のスーパー・ドラッグストア・デパート等を巡り、品ぞろえのチェックを行う

【その41・15:00~16:00】

周ってきた店舗の品揃え状況を投稿する。両親が午前中に行った音更町の店舗の状況も投稿する。音更町の店舗に関するツイートは反響が大きかった

2018年(平成30年)9月10日

【その42・午前】

事務用品会社の営業の人が集金にやって来る。9/6当日は自宅待機となったものの、メール・電話が使えずLINEでのやり取りとなったそうだ

2018年(平成30年)9月11日

【その43・午前】

仕事の件で正式に連絡が来た。仕事は続行し締め切りが早まることとなった

*1:十勝毎日新聞の「胆振東部地震」に関する記事のうち、2018/9/6~9/9分は2023/9/6現在無料公開を継続しているhttps://kachimai.jp/tag/list.php?id=20189151229290