すこしながいはなし

SNSに書くには少し長い話

平成15年十勝沖地震の記憶(2023年・記)

2023年(令和5年)9月26日は平成15年十勝沖地震が起こって20年となった。規模の大きい地震であったものの、自分の生活への影響は小さかった
この当時はブログや個人サイトも持っていたが、あいにくデーターの保存を行っていなかったり、保存していたデーターが飛んでしまったため、当時の記述は残っていない
本来であればきちんと当時の新聞記事も確認しておいてから執筆すべきなのだが、個人的な事情によりネットで確認できる情報のみを確認しての執筆となるのはお許し願いたい

免責事項

  • あくまでも個人の記憶に基づいた内容のため、実際の被害状況とは合致いたしません
  • タイムライン風の記述となっておりますが、実際の状況や報道内容とは必ずしも一致しません

前提

  • 帯広市東部にて暮らす父(当時50代前半)・母(当時40代後半)・私(当時20代半ば)・妹(当時10代後半)の4人家族。午前5時前ということもあり全員家で就寝中であった

2003年(平成15年)9月26日

【その1・4:50頃】

自宅の自室で少しのP波を感じる。

【その2・4:50頃】

地震だ!」と思うも、東西方向に1秒感覚でそれぞれ2mは横に揺れている。縦揺れはない。三半規管が丈夫ではないので「気持ち悪い揺れ」なのが率直な感想

【その3・4:51頃】

横揺れで体をまっすぐ立ち上がることが難しい。窓開けを断念し自室のドアの身を開けることとする。這って移動し、ドアノブを回すが、かがんだ状態でのドアノブ回しは困難である

【その4・4:52頃】

ドアノブが回り切った。ドアに体当たりする格好でドアを開ける。遅れて10秒、妹が使っている向かいの部屋のドアも開く

【その5・4:52頃】

ドアから離れて揺れをやり過ごす。妹の様子は見えないが、彼女もドアから無事離れたようだ

【その6・4:53頃】

やっと揺れが収まった。ドアのところに来たら妹と遭遇。「気持ち悪い揺れだったね」と見解が一致する

【その7・4:53~5:00頃】

自室に戻る。学習机の本棚からB5サイズの料理本が落ちているのが唯一の被害。

【その8・4:53~5:00頃】

妹と同時に一旦2階の自室から1階に下りる。父は隣の祖父母宅(兼職場)を見に行っている。母とも「気持ち悪い揺れだったね」と話す。テレビはついている

【その9・5:00~5:30】

一旦自室に戻る。デスクトップのパソコンは動き、インターネット回線にも問題はないので、ブログに地震のことを書いて震源・震度の情報収集をする

【その10・5:30】

再び1階に下りる。入れ替わりで両親は再び寝る。隣は無事であった。STV「朝6生ワイド」で揺れが大きい地域の人からのFAXやメールが届いているので、アナウンサーがどんどん読み上げて言っている。断水や停電の情報も来ているので、このまま「朝6生ワイド」固定の方がよいのではと判断し視聴する

【その11・5:40頃】

ここまで起きているのなら二度寝する理由がないので着替えるため自室に戻り、着替えてから再び1階で「朝6生ワイド」を見る

【その12・6:00前】

自衛隊から提供されたという「十勝川河口に津波がさかのぼって入り込み逆流を起こしている映像」が「朝6生ワイド」で流れる。この映像は『平成15年十勝沖地震』を語る際に象徴的に流される映像となる

【その13・6:30】

STVは「ズームイン!!SUPER」に切り替わる時間であるが「朝6生ワイド」を継続。視聴者からのFAXやメールは途切れず「10年前の釧路沖地震とは情報の量に大きい差があるな」と感じる
参考:釧路沖地震の回想 - すこしながいはなし

【その14・6:50前】

全員起きてきたので朝食。北海道東部太平洋沖を震源とする地震としては体感余震がとても多い地震であり、落ち着かない状況のまま朝食となった

【その15・8:15】

この頃までに、妹は学校へ、父と私は職場へ出かける

【その16・11:00頃】

仕事相手の方から電話がくる。今回の地震発生直後に震源地近くの現場の確認に向かうも、通る予定であった国道242号線の千代田大橋は橋脚がずれたため通行止め。道東自動車道を通って現地に向かったと教えてくれた。
当時、道東自動車道は十勝清水IC~池田IC・千歳恵庭JCT~夕張ICと飛び地状の開通で、あまり地元の者も利用をしていなかった
橋脚がずれた千代田大橋は平成18~20年に架け替えが行われた*1

【その17・11:35頃・15:30頃】

強めの余震が来たので仕事を中断して避難する

2003年(平成15年)9月27日

【その18・午後】

本日は土曜日であるので仕事は休み。被害が出ている帯広駅前・長崎屋帯広店(2023年7月直営撤退・2024年3月に全テナント閉店予定)を見に行く

【その19・午後】

帯広駅東口北側~帯広西2条通り西側歩道の歩道インターロッキング(歩道にレンガっぽい舗装をしているあれ)が、藤丸前(2023年1月閉店)まで大幅に浮き上がっていることを確認。一方西2条通り東側歩道の歩道インターロッキングはさほど被害なし。西2条通り東側の六花亭本店(現・六花亭帯広本店)は通常営業であった
藤丸・長崎屋帯広店は1993年の釧路沖地震でも壁や柱にひび割れがあった*2

*1:この時被災した橋は昭和29年に架設されたものであり、地震前から架け替えの計画はあった

*2:藤丸と長崎屋帯広店は、この後の2013年2月の地震でも被害を受けている。地震の修繕費に費用が掛かったことも閉店の遠因のように思うのだが。一方イオン帯広店はこれらの地震において建物や周辺道路の被害は軽微である