すこしながいはなし

SNSに書くには少し長い話

穂積さんのこと

家が自営業ということもあって、幼いころから営業の人が良く家に来る家庭であった

そのうちの一人が燃料会社の営業であった穂積さん(仮名)であった
穂積さんは父方祖母と同年代であり、私や妹は孫みたいなものでよくかわいがってもらった
妹は私以上に穂積さんにかわいがってもらい幾度となく「うちには子供がいないから、養子に来ないか?」と誘われていた
もちろん本人にもほかの家族一同にもその気はなかった。おそらく穂積さんも本気で裁判所へ行き手続きを……とは考えていなかったように思う

そんなある日、父方祖母が妹に「穂積さんのところへ行かないか」と勧めたことがあったようで、大泣きして帰ってきたことがあった
本気ではないとはいえ、4,5歳の子供に対して、祖母もとんでもないことをいうものだ
妹はよっぽどショックだったのか、のちにこのことを振り返る文章を書いたことがある
穂積さんも悪いと思ったからか、以後その話はしなかった

妹が大泣きして帰ってきてから数年後に穂積さんは定年退職となった
さらに半年後、地元新聞のお悔やみ欄に穂積さんの名前が載った
喪主は奥さんの名前。きょうだいが施主となっていた
喪主を務めた奥さんもその翌年にはお悔やみ欄に名前が載っていた

妹も結婚し子供が生まれた
その子は、妹が養子縁組の話をされショックを受けて大泣きした年齢に近づいてきた

穂積さんが父方祖母の親戚筋であり、決して誰にでも養子の話をしていたわけではなかったこと
穂積さんの年齢で、夫婦2人で暮らすと決めたことはその下の世代以上に厳しい決断であったこと
その生き方にたいしての風当たりの強さは相当なものであったこと
・・・・そういったものが年とともに知識としてだけではない理解ができるようになった
それだけに父方祖母の一言は「やっぱりとんでもないよなあ」としみじみ感じいるのだが

穂積さんは今ご存命だったなら、80代半ばくらいになっていたろうか
父方祖母も他界した今、妹に子供が生まれた今まで存命であってほしい。というのは現実的ではない
それでも、もうちょっと長生きしてもらって、妹の成長を報告できればよかったのかな。という思いはあるにはある